マクシム・クランス、ロシア・ノーボスチ通信社、政治解説員。
中央選挙委員会の依頼により行なわれ、月曜日(15日)に発表された全ロ世論調査センター(ロシア語表記ВЦИОМ)の調査結果によると、ロシア人の60%は政治に関心を持っていないことが判明した。若者に関してはこの数字はもっと大きくなり68%に達する。しかしこれはどうやら喜ぶべきなのかも知れない。先進民主主義国ではすべて、政党や政治、支持率については定例の選挙の1週間になるまで全く関心を示さないからだ。ロシアの場合はこのような市民の政治無関心は先進国とは全く違う様相になっている。
半年前、EU-ロシアセンターと共同でLeveda-センターが行なった別のアンケートによれば、94%のロシア人は現在ロシアで起こっていることは、彼ら個人の意向や選択とは全くあるいはほんの僅かしか反映されないと表明している。つまり市民の現在の政治的倦怠の原因はここにあるのではないだろうか?
ペレストロイカ(改革)で多幸感に溢れていた時期、初期の民主主義あるいは市場改革の時期には、我々の多くは周りで起こっていること、自分の国、自分の選択に対し初めて責任を感じるようになった。1991年、突然開かれた希望と展望に酔いしれた我々は、我々の1票は何かを意味すると信じ、怒涛のように投票所に推し掛けた。その時、改革を支持した者は、すでに1年、せいぜい2年もすれば改革が実現され具体的に肌で感じることができると思った。しかしその時期を待ち切れなくなった。それゆえ、1993年、ましてや、1995年にもなったら、気分はすっかり変わっていた。失望した3分1以上のロシア人は家で何もないで待機して待つか「国内逃避」に逃げた方がましだと考えた。そして2003年の一番最近の下院選挙ではこのような「社会無関心層」は44%以上に達するようになった。
イタリアの革命家のジュゼッペ・マジーニに云わせると、「約束を忘れるのは治世者であり、人民は決して約束を忘れたことがない」と述べた。恐らく、エリツィンチームが政権に就くとき掲げ、そして為し得た民主主義のスローガンのうちで唯一実現したものは言論の自由だったと言えるだろう。残りの大部分は、実現されず紙に書かれたままだった。何故か?理由は、権力のある1部が他者に対する支配を許さず、関心ある社会対話を提案し、市民が新しい国家建設の際の課題と方法の決定に積極的に参加できる有効な「権力抑制と均衡」のメカニズムがロシアにできなかったたことだ。
ロシアには市民社会は存在しなかったし今もない。管理を実際に牽引しているのは、ソ連時代からそうであったが、「ヴァーチャル」(仮想的)で、不可解な、国民には理解できない、国家を作り上げている政権内部の役人連中である。Levada-センターの社会学者が人々に、「国家の高官の現在どのような活動の方向は主にどこに向けられているか」と質問した時に、55%の人が役人は自分自身の保身のために動いていると思っている。20%の人は国家の利益のために、そして役人が国民のために活動していると思うと回答した人はわすか12%であるが、これは市民に充満している倦怠感を無関係ではなく決して結果ではない。
最近の選挙法で導入された選挙の際の「改定法」は、さらにもっと「人民」と「国家」を遠ざけている。「改正法」とは、自治体の知事選を廃止したこと、政党名簿への移行、市民の信任を得られない議員が現れた場合市民にその議員を辞職させることを禁止したこと(辞職権は大統領にある)、そして投票用紙に「候補者の全員反対」の欄を削除した、などの法律を意味する。それに、党を辞めてしまう議員に対しては議院資格を剥奪することができるとする法律を下院が最近導入したことも含む。国民が意志表明する機会は徐々に歪曲化され制限されている。
その結果として、下院そのものを信任する度合いが下がっている。それ自身の本質から今日民主主義社会の基礎とならねばならない国家の主要立法機関である下院を、全ロ世論調査センターのデータによれば、ロシア人の半分が信用していない。それでは「社会世論」ファンドが行なったアンケート回答者の3分の1以上は、議会がなくともすべてまかなえると思っている。これは議会の危機、ひいてはロシアの民主主義全体の危機以外に何物でもない。
最近の「G8」サミットでウラジミール・プーチンは、ロシアは自分のためだけの何らかの「特別な民主主義」を作るつもりはない、そして、「共通の原理ですべての文明国」と同じように発展していく。尤も、今の所は必ずしも上手く行っているわけではないが、すべては(紙の上の話ではなく)実際に自分なりの独自の道を探そうとしていると表明した。
しかし、もしかしたら、そんなのものはロシアには全く必要ないかも知れない、こんな民主主義は?そんなものは勝手にしろ!だ。なぜなら民主主義などなくてどれだけ生活してきたか、そして何でもなかったではないか。いや、違う。必要だ。社会学者が示しているように、70%以上のアンケート回答者は、政権の選挙による任命制、多党制、マスコミの独立性を支持している。つまり、民主主義を支持しているのだ。尤も、彼らはきちんとした姿でこの民主主義を見たことがなく、その下で生活したこともない。それ故、頭の中で混乱が生じ、社会的倦怠感を感じているのだ。そのため、多くの市民は選挙で投票に行くことが重要でかつ必要なこととは考えていない。例えば、国際会社SynovateがBBC Worldの依頼で8月に世界の15ヶ国で行なったアンケートでは、ロシアは市民のこの義務(選挙義務)を遂行しなければならないと考える人が一番少ない国であることが判った(わずか34%)。ドバイ回教国でさえその数は60%に達している。
市民が政治に懐疑的になる理由は理解できる。国家が決定採択の責任を自分だけで引き受け、この権利の遂行の市民を参加させず、国家独占による管理体制を益々強化しているからだ。