現在まで、多くの学者たちの間でロシアは一体地球のどの部分、つまり、ヨーロッパなのかアジアなのか、論争になっている。タタルスタンを訪れた人はロシアはアジアにの国であるとの確信がある。この地は当然ロシア連邦の構成に入っているわけだが、この共和国の名前「タタルスタン」を取っても古代アジアの民族、タタールという名前に由来している。多くの専門家は、まさにタタール人が、1000年以上も前にこの共和国の首都、カザン市、を創設したとの説を唱えている。
タタルスタンは古来からイスラム文化の地であった。この地域はロシアの構成にはイワン雷皇の統治の時代に編入した。このように長い間に亘るロシア連邦の構成国を形成していながらも、タタルスタンはロシアの中で独自の「アジア文化の中心地」であり続けている。このことは、太古の時代からここに残っている多くの建築記念碑を見れはそのことがすぐに判る。歴史文化遺産の保存は、タタルスタン共和国の国家的な文化政策戦略の最優先の項目の1つである。
タタルスタンは現時点でロシア連邦の中で最も発達した共和国の1つである。これは、産業経済の中心地である。ここには、ロシアの主要貨物自動車が集まっている。ロシアの主要幹線鉄道がこの地域を経由して東方の中国に走っている。また、毎年、この地の飛行場を通しての航空便の旅客者も増えている。
これらすべては、タタルスタンの素晴らしい自然が旅行者を喜ばす邪魔になっていないからである。ロシアのこの地域の森林は中央アジア草原とつながっている。ここでは、もちろん、ロシア連邦で最も有名な川の一つであるボルガ川の光景を無視する人はいないだろう。
カザン市は、ロシアのイスラムの中心地である。ここには、ロシアで(あるデータによれはヨーロッパを含めても)最も大きな回教寺院、クル-シャリフ寺院がある。寺院の塔やその他のイスラム文化独自の建築物とロシアの古典的なロシア正教とが組み合わさった光景はこの街に独特の景観を与える。カザン市内には、「イズバー」と称するロシアの伝統的な木造家屋の周辺に、カザン汗国の時代の白石の寺院が建ち並んでいる地域が昔からそのままの姿で残っている。
最も優れたロシアの伝統の中に序列され、ユネスコの世界遺産に登録されている市の中心を飾るカザンのクレムリン(市内の城塞)も、この地域のアジア文化の痕跡を醸し出している。カザンのクレムリンの領内には、最高級に美しいとされる寺院、ブラゴベシェンスク大聖堂がある。ここでは旅行者はロシアの歴史で最高度に重要な聖像(イコン)、カザンの聖母イコンに魅了されるだろう。
カザン市の純粋なアジア的そして純粋にロシア的建造物と並んで、ヨーロッパの建築の伝統にもとづき設計された建物も散見することができる。それは、例えば、フランス君主の宮殿を彷彿するカザン国立大学である。
タタルスタンはまさに対比(コントラスト)を象徴する地域だ。この地域の住民は民族の友好の理想を絵に描いたような地域だ。ロシア人は全住民のわずか半数しかいない。他の半分はタタール人が占める。しかしこんな割合を気にする住民は誰もいない。タタルスタン共和国は、一般的に良く言われるように「東が西を迎えてくれる」、最も良い例を示す地域の1つであるかも知れない。