アンドレイ・ヴァヴラ、ロシア・ノーボスチ通信社、政治解説員。
第2回全ロ市民フォーラムでの次期大統領が確実視されるドミトリー・メドヴェジェフの演説は、まず、次期大統領選の選挙運動を行なうための計画の概要を述べたと見なして良い。勿論それは補足されもっと詳細になろうが、基本的な重要事項はこの計画書に述べられていると言って良い。
メドヴェジェフが、次期大統領の(つまり彼の)指導の下で推進される全体的な土台原理を述べたことは至極当然のことである。「この原理は社会が要求する現実的課題に沿って作り上げることはできるだろうか?この原理とは、まず、自由と公平であり、第2に、市民の市民としての価値、そして第3に、繁栄と社会的責任に則った原理であらねばならない」。
政権の主要課題は、メドヴェジェフの言葉によれば、これは、何らの革命や大変革もない安定した平穏で均一な発展の維持である。次期大統領は社会問題に目を向けた大統領であり、国家政策の優先課題は市民の幸福となる。
さらに、演説では、指導層に向けて何らかの信号を出している。路線の継承性が明確に宣言されているが(そのことを疑う者は誰もいない)、変化は将来起こりうる。もちろん、次期大統領の言葉や理解体系はまだ最後まで形成されていないことは目に付く。しかしそれでも最も重要なことが提示することは忘れていない。それは、違った音調、語調(イントネーション)、新しい論弁(ディスコース)、新しいイデオロギーの模索である。
例えば、すべての人は、メドヴェジェフが1990年代についての歴史認識で最近まで受け止められていた認識とは異なる認識を示したことに注目した。「1990年には我々は崖っぷちを歩いていた。我々は多くの過ちを犯した。しかし国家は崩壊しなかった。ここにその当時の政権と市民社会の実際の功績がある」と述べた。
あまり賢くない解説者たちは、我々の90年代を、良いことばかりの2000年代と対比させ、黒い塗装で汚した(すべてを崩壊し、粉々にし、外交ではあらゆることに譲歩した)。ここから疑問が起こる。もし90年代に行なったことがすべて悪いと言うならば、それ以前、つまり80年代、70年代、60年代、50年代....に行なったことは正しかったのかと言う疑問である。
メドヴェジェフは、90年代を評価するに当たり、国家は崩壊しなかったと言う違う角度の判断をした。その際、誰から現在の体制は誰に端を発するかと言う継承性においては、90年代のエリツィン政権と現在のプーチン政権との間にはイデオロギー的継承性はないとしている。なぜなら、エリツィンの時代の事業は2つの基礎的なこと、共産主義との決別と民主主義的社会の土台の建設であった。
尤も、メドヴェジェフの演説の中には、何から去り何に行き着いたかという継承性のテーマにも直接関係する部分もあるが他の場所に追いやられてしまった1つの観点がある。それは、「多くの党は、憲法の原理、基本的権利そして市民の自由を守る必要性について、市民の然るべき生活は効果的に発展する市場経済によってのみ可能になるということについて論議する。この論理では我々の社会でコンセンサスを得ることができることは信じられなかった。現在このコンセンサスは発見され、最近の8年間に我々の社会が発展した過程で巨大な達成になっている」という観点だ。
これは、共産主義は悪く、それを取り払うことは良いことだと言いたいのではない。(共産主義者と共産主義を、誰が誰に負けたかで罵らないし、言及もしない)。社会には現在(どのような方法かは重要でない)以前と異なるイデオロギー基盤での合意が形成されている。
ここに、今、我々の歴史認識レヴェルは、我々の多面的な過去を1つの包みで1まとめにすることはどうしてもできないというレヴェルがある。
演説の重要部分はロシアの民主主義の特殊性についての判断の部分である。ここにもやはり面白いニュアンスがある。
「基礎的な価値感は人類は大分以前に形成している。しかしそれをロシアの現実に適合させると問題になることがある。ロシアの国民的伝統と民主主義的価値の基本的一揃いとをどのように整合性を持たせるか?これは、ロシアの政治知的上層部が150年休みなく奮闘している課題だ。現在我々はその解決に著しく接近した。一方、我々は自分自身の文化的価値にも戻った。まさにその文化的価値は我々の国民的アイデンティティーを形成し、しかも世界の文明の切り離せない1部にもなっている。また一方、我々はロシアの政治的及び経済的民主主義の条件下での自分自身の貴重な経験を持っている」。
メドヴェジェフの演説では、ロシアはそれでも特殊だとする悪名高い「主権」民主主義について触れている。しかし、演説に出てくるロシアの特有の民主主義は今日西側で受け止められているような挑戦的でも攻撃的でもない。演説の内容は彼らの民主主義との相違を強調しないようまるで政治的に柔らかく表現しているようだ。
しかしながら、ここには様々な種類の補足と詳細のためにまだ耕されていない場所がある。なぜ「問題」なのか?国民的そして民主主義的要素の互換性を求めての闘いの年代記は誰が始めたのだろうか?そして本当に闘いは150年も続いたのだろうか?そしてもし我々の文化的価値が「世界の文明の切り離せない1部なら、何から「適合に問題あり」とすることについてそんな騒ぎになっただろうか?
政治学者は、もちろん、このメドヴェジェフの論弁(ディスコース)を説明しているが選挙運動計画の断片としてはあまりに不十分で不明瞭だ。
外国のパートナーにとっては、もちろん、演説の中のロシアと西側の相互関係に関する部分は特別の関心事項であろう。
「外国では現在ロシアはどのように見られているのだろうか。残念ながら、1990年代までに、我々の多くのパートナーに、ロシアは自分のシナリオで独自に発展することは何もできない、存在するシナリオではロシアに善良な生徒あるいは端役に過ぎないという印象を持たれてしまった」。
しかし、最近、ロシアは経済的に強くなり、国際舞台で自分の立場を著しく強化した。はるかに強くなったということは自立力が強くなったということだ。そして外国パートナーのロシアの見方も変わった。
「我々の発展をかくも注意深く観察している国々の主要な問題はどこにあるのか?なぜ我々を皆恐れるのだろうか?頻繁に彼らには、ロシアがどこに向かうのか、そして将来何をやろうとしているのか本当に不明瞭になる。これは、ロシアが国際舞台で直面する基礎的で歴史的矛盾の1つである。過去の3世紀の間、ロシアは大きな国、粘り強い国、そして最後までは理解できない国にとのイメージを持たれていた。ヨーロッパの文明の法則で発展したいのだがどこに向かうのか判らない。従い、我々は、社会や政治の分野で経済の中のロシアの行動と計画を公開し続け、明確に説明し、現実の国際問題を共同で解決するために、世界に自分の同盟者を作る必要がある」。
ここでは、純真な強い驚きの語調があることが面白い。ロシアを理解せず恐れている国家の「問題」について触れている部分である。そして重要なことは今後の説明が必要であると提言していることである。つまり、「主権民主主義」という言葉を演説に入れ、そしてそれを実際に口にしたことで複雑になった西側との対話に、敢えて触れたことは重要なことである。そして、「ロシアは、一丸となって、外国の世論に対してもっと集中した、そして目的に適った作業が必要になるだろう」と述べている。これも重要なことである。
尤も、これらすべての問題と不明瞭は、早晩発表されるメドヴェジェフの公式計画の中で解明されるだろう。