アンドレイ・ヴァヴラ、ノーボスチ通信社、政治解説員。
周知の如く、欧州安全保障協力機構(ロシア語略でОБСЕ)の人類民主主義制度および権利局(同ВДИПЧ)は、ロシアでの選挙にオブザーバーとして自局の代表を派遣することを拒否した。拒否の動機は、オブザーバーは以前は通常もっと多く招待されており、招待状自身も選挙の数ヶ月前にはロシア側から送付されていたことだ。従い、投票だけでなく選挙キャンペーンの過程も監視することができた。今年は、招待状は10月の末になってやっと送付された。
中央選挙委員会は、この知らせに対し何の反応もせず、ВДИПЧの拒否を受け入れ、ВДИПЧに割り当てられていた枠を他の国際機関からオブザーバーを呼ぶことにした。を採択した。例えば、ОБСЕ総会はロシアに約30人派遣するつもりだったが、ВДИПЧの枠を得て40人のオブザーバーを派遣する。
外国の最初のオブザーバーグル-プはすでにロシアに到着しており、自分の仕事に取組む希望に燃えている。
一体どこから、完全に従来通りだった状況が突然紛争の火種になったのだろうか?
実際には、ВДИПЧの拒否は、ワシントン、アメリカ国務省の指図で行なわれた。このような情報が我々にはあるとプーチンは述べた。つまり、西側は、どうやら、ロシアの民主主義の量と質に対して不満を表している。
我々の、ロシアの選挙を客観的ではなく専ら先入観のみで見ようとするヨーロッパ人が大規模な徹底したあら探しのチェックに走り怒りの手順を放とうしていたことへの疑惑は正当な根拠を持っている。このチェックには、我々の選挙制度へのすでに以前から作られた不審というはっきりとした理由を持っている。
従い、もし以前からすべて判っていること、つまりロシアには民主主義の匂がしないことが判っているなら何の観察の検査をするのか?つまり、民主主義はあるようでもあり同時にないようでもある。言い換えれば、我々は、コップは半分空か半分一杯かという定義についての昔からの論争に戻ることになる。
あるオブザーバーは我々のところに来る。他のオブザーバーは来ることを拒否する理由を探す。これは、2つの平行したプロセスと言ってよい。最初のプロセスは、現在行なわれ将来も行なわれるだろうヨーロッパとロシアの相互協力に関する作業だ。もう1つのプロセスは、ロシアが何らかの民主主義規準に合致しているのかといういつもの論議を持ち出すことだ。ロシアの選挙の時期に合わせて持ち出す論議だ。
もちろん、選挙には本来そうであるべき一定の民主主義の基準というのは存在する。しかし、その規準は、一定の枠であり、ヴィザ取得用に埋めるような詳細な指示ではない。そして、その項目のすべてに正しくない回答に対し、あなたはその行動にすぐ様2と付けられ、ひどく怒られる。繰り返して言うが、規準とは大枠を指すのであり、すべて気に入らないものを叩く棍棒ではない。
そして、これは、このような指示を作成する者自身も正しい答えを埋めることにあまり注意を払っていないのが現状だ。
総じて、状況は非常に不条理になっている。a)民主主義に統一した基準がないことはすべての人が知っている。b)この規準を主張する人は自らその規準を頻繁に破る。
ロシアに対し、定期的に何だかんだと欠点や不完全を指摘し、けがらわしそうに唇を歪める、この傾向は我々ロシアには極めて気に食わない。この傾向は、基本的に、見通しがない。「正しく生活できる」ように自分自身を教え込むことができる尊敬に値する国など1つもない。ましてや、まだそれほど以前ではない時期にあまりに厳しく自尊を傷つけられている国、ロシアならなおさらのことだ。アフガニスタンやイラク、グルジア、コソヴォなどは、民主主義がある、少なくとも民主主義国家になろうとするその熱心さがあると好意的に論じられている。だからなおさらのこと、ロシアは偏見に最も激しい反応を起こさざるを得ない。
それでも、我々は、12月2日に、選挙に行き、希望する政党に投票する。我が国の民主主義に対して西側の幾人かの同志が非常なる懐疑論を持っていようと我々は投票に行く。