聖ニコライの日記が聖ダニロフ修道院に贈呈
18:2918/07/2008

7月17日日本のユーラシア-21研究所の会長吹浦忠正がロシアの宣教師で聖ニコライ5巻から成る日記を聖ダニロフ修道院に贈呈した。贈呈式はモスクワの聖ダニロフ修道院で行われた。

日記の原本は、サンクトペテルブルグの古文書から著名な正教会の研究者中村健之介により発見され、ユーラシア-21もその構成に入っている「国際交流基金」の支援の下に日本で日本語で、その後ロシアでロシア語で出版された。

吹浦会長は自身の演説の中で、1860-1912年に日本で宣教師活動をしていた聖ニコライの人物像と活動は日本で多大なる尊敬を呼んでいると称賛した。ロシアと日本の文化交流の発展のために聖ニコライの日記の意義を指摘しながら、吹浦会長は、文化と相互理解という心と心の繋がりが両国の関係を抜本的に改善されることを期待していると言明した。

贈呈物を受託しながら、聖ダニロフ修道院長アレクセイは、「私は、この贈呈はロシア正教会と日本の正教会の団結の意味においても非常に意義のあることだと思う。聖ニコライが自分の日記の中で記述している精神的な経験は今ここロシアに住んでいるいる我々にとっても必要なものだ」と述べた。今度は、式典に参加した「ルースキー・ミール(ロシアの世界)」基金の会長アレクセイ・ニコノフは、日記の出版は大きな象徴的意義を持ち、日本にロシアに対する関心が非常に高いことを証明していると述べた。「我々は、ロシアには日本に、真剣な文化活動を推進する用意のある本当の友人が沢山することが分る。これはロシアと日本の協力と接近が深まっていることを物語っている」と語った。

Святой равноапостольный Николай Японский聖ニコライ(現世でイワン・カサトキン)は、日本でのロシア正教信仰の最初の宣教師だ。1860年に、24歳の若さで、彼は、函館市でロシアの宣教師団の聖職者になり、初めて日本の地を踏んだ。それ以来、彼は、この国でロシア正教の宣教に自分の人生を捧げた。1870年にはロシアの精神施設館を、1880年には、あのニコライ堂として有名なキリスト復活大聖堂を設立した。聖ニコライの活動は、聖文書や祈祷文書の日本語への翻訳、三万人以上に及ぶ日本へのメッセージ、など甚大な功績がある。聖ニコライにとって苦難の時期はロ日戦争の時代であった。自国の運命に心痛を思い、聖ニコライは、それでも、日本の帝国者のため祈ることすら日本の正教者に許可した。そしてその後、日本の捕虜になったロシアの兵士への援助も行なった。聖ニコライは、1912年に逝去した。ニコライは、外国の大使たちや国家高官の参加する中で国民の一致の下で葬儀が行われた。葬儀には、明治天皇の花輪も送られ、外国人に捧げられる最高級の栄誉となった。1970年、聖ニコライは、聖人者の称号が捧げられた。

ロシアの宣教師の日記は、日本でのロシア正教の形成だけについて語っているだけでなく、日本の歴史の転換点における生命を証明しているものである。