エレーナ・ザゴロドニャヤ、ロシア・ノーボスチ通信社、経済解説員。
フランスの自動車コンツェルンPSA - プジョー・シトロエンは、蒸気を炊き込み益々勢いを付けるロシアの自動車組立産業という「汽車」に何とか乗り遅れずに済んだ。カルーガ州の自動車工場設立についての調印された合意書は、最後のうちの1つだ。合意書には、プジョー・シトロエンロシアプロジェクトの所長ディディエ・アリトンとカルーガ州知事アナトリー・アルタモノフとカルーガ市長ニコライ・リュビモフだ。
この種の協定は、世界の自動車コンツェルンにロシアに自動車組立工場を関税0%から3%の税率で導入する可能性を与えている。その代わり、メーカーは局地化の義務を負う。つまり生産する自動車の中でロシア製の部品の割合を徐々に増やして行く義務を負うものだ。2005年には、ロシアでの自動車の産業組立に関する政令を決定したロシア政府は額にして20億ドルの投資誘致を期待した。(評価は当時の経済発展相ゲルマン・グレフによる)。
実際はもっとはるかに額は多かった。本日PSA - プジョウ・シトロエンとの合意書調印の式典に出席した現在の経済発展相のエリヴィラ・ナビウリナの言明によると、ロシアは、ロシア領土での外国車とその部品の製造に関する23の協定に調印し、その総額は65億ドルに達したとのことだ。政府役人が約1年、産業組立の申請受理の停止時期を引き延ばしてきたのは無駄でなかったことになる。最初は、組立企業にとって扉は2006年で閉ざされるのではないかと思われていたが、最終的には2007年末まで延期された。
プジョー・シトロエンは、ところで、経済発展省との協定をすでに昨年の夏に、サンクト・ペテルブルグの経済フォーラムで署名していた。現在はフランス人とカルーガ州当局によって裏書された書類の両者の権利と義務の詳細の確認作業をしているだけである。カルーガ州は200ヘクタールの土地の提供で本プロジェクトを保証する。フランス側コンツェルンは、約3億ユーロを投資して、2010年までに、年間製造能力15万台の2600人を雇用する工場を建築する予定である。アリトンの言葉によれば、工場では、プジョー308あるいはシトロエンC-4と同類の中型車の組立が行われることになっている。その際、初年度の生産は、7万5000台を計画している。
フランスの自動車会社はロシアに組立工場を設立するかしないか決定を採択する際、ぐずぐずしていた。そのことは彼らのロシアの販売業績にネガティヴに跳ね返った。フランスの自動車会社の2007年のロシアでの販売台数は輝かしいものではない。プジョー車は、例えば在ロシアのヨーロッパ・ビジネス協会(Association of European Businesses, AEB)のデータによれば、63%の伸びを示したが、外国車の販売台数ランキングでは15位から17位に後退した。(下表参照のこと)。数量的にもあまり強い印象を与えず、Ford車の販売台数175793台に対して24951台だった。シトロエン車に至っては、市場の外国の新車販売台数が平均で61%伸びているにも拘らず6%の減少である。
もっとも、2007年になってやっと経済発展省と産業組立協定に調印したスズキ、ヒュンダイ、三菱のように、見込みなく遅れた会社としてPSA - プジョー・シトロエングループを位置付けるのは明らかに間違っている。ロシアの自動車市場はまだ飽和状態からほど遠い。Ernst & Young社の予測によると、新しい組立生産が稼働することになる2010年までには、市場は、3800万台、そのうち2500-2800万台が外国車、を吸収する市場になっているかも知れない。因みに、2007年には、上述のAEBのデータによれば、ロシアでは2300万台の新車乗用車が販売され、そのうち1600万台は新車の外国車だった。
全体的には極めて楽観的な予測ができる。現在ロシアの市場で登録されるPSA-プジョー・シトロエンにとっても残りの22の組立工場参加社にとってもだ。1934年のスターリン流の戦況の誇大広告を思い出すのが好都合だ。繰り返そう:「我々のもとには自動車産業などなかった。しかし今は我々には自動車産業がある」。しかし本当に我々には今自動車産業があるのだろうか?
このようなプロジェクト、つまり主導的な世界の自動車メーカーを組立のためにロシア市場に招致することは、消費者の希望を満たすためだけでなく国内産業を引き締めるために推進されるもので、さらには、自動車部品を製造するロシアの多数の企業や自動車産業の関連企業が外国の技術を習得できるようになって初めて理想的と言えるのだ。つまり外国企業にもロシア企業にも相乗の効果が期待されて初めて理想的と言えるのだ。
今のところはロシア企業にはこのような効果の兆候は見えない。
良く判断して欲しい。自動車組立産業のプロジェクトはすべて、組立の最初の5年間で30%、7-8年後には50%を局地化(ロシア企業が生産に関与する割合)することを要求している。しかし、現在までロシアでこの条件で働く外国企業で1社も5周年記念すら祝っていない。この条件でなく別のスキームで生産する企業も自分の車を成功裏に組立て販売している企業も生産をロシア化できたかと言えば、決して自慢できるような局地化は行なっていない。
ここに、ヴセヴォロシスクのFord社の工場の場合の顕著な例を挙げることができる。工場は1999年から自動車組立を始めた。ロシア政府とFord社の当時の協定では、Fordは2007年までには工場を生産の50%まで局地化(ロシア化)するはずだった。しかし、2006年夏に、ロシアで製造される部品では、Fordにとってみると自動車製造に適さないことが判明した。この件に関しての公式説明は全く乏しかったが、言葉の端々からは、読み取れたことは、Fordがロシアの工場の局地化に失敗したのは、ロシアで製造される自動車部品は全く不適合だったことを理由にしていることが読み取れる。経済発展省との長期の交渉の結果、2008年8月には、工場を新しいスタイルの協定下で管理させ、ヴセヴォロシスク工場を刷新させるところまで行き着いた。この協定にもとづき、Fordは今度は2012年までには30%の局地化を実現することが求められている。
Fordに続いて、どの自動車組立企業も同様の問題にぶつかり、この問題を同じ様に、経済発展省と交渉することにより、解決することが要求されることはほほ明確だ。その際、外国企業は多くのロシア人雇用を生み出し、多額の投資をしたではないか、だから、局地化の期限を延ばして欲しいと主張するかも知れない。ロシア全国の規模では数百の自動車企業や関連企業がある。このことを考えれば、局地化による広い意味でのロシアの自動車産業の復興プロジェクトは皆無になってしまう。局地化が皆無でも喜ぶことが1つある。それは、人々は、同じ渋滞にぶつかるにも、(昔のロシアの車の中とは違い)、今は快適な外国車の中にいることができるということだ。
表。
2007年のロシアでの外国新車の販売台数。
順位 企業名 販売台数(台)対2006年比(%)
1. シヴォレー(GM-AvtoVAZ含む) 190553 71
2. フォード 175793 52
3. ヒュンダイ 147843 47
4. トヨタ 145478 52
5. 日産 116498 54
6. ルノー 101166 40
7 三菱 100609 46
8. 大宇 91302 37
9. キア 78616 31
10. オペル 66329 232
11. マツダ 50592 57
12. ホンダ 38631 146
13. チェリー 37120 245
14. フォルクスワーゲン 32002 67
15. スズキ 28597 77
16. シュコダ 27535 86
17. プジョー 24951 63
18. ヴォルヴォ 21077 94
19. スバル 15553 105
20. メルセデス-ベンツ 15330 65
Top-20位に入らない車を含めた合計 1645630 61
情報源:Association of European Businesses