- ロシア作品コンクールで優勝した日本女性が語る -
(作品は添付)
東京。12月20日。ロシア・ノーボスチ通信社アラン・ブルカトゥイ発。
ロ日関係の改善のためには、若者の交流の規模を拡大させる必要がある。このように、ロシア作品コンクール優勝者で早稲田大学の学生黒瀬幸葉が語った。
日本の学生の間で行われたコンクールは、駐日ロシア大使館、ロシア・ノーボスチ通信社東京支局そしてロス・ザルベジ・ツェントゥル(ロシア外国センター)により開催された。
「私は、私たちとロシアのイメージは多くの場合において決まり切った型に嵌まり易いことが問題であり、そのことがロ日関係の正常な発展を妨げるように思う。従い、学生によるもっと積極的な交流を推進し、ロ日の若者たちに、この型を壊すよう可能性を与える必要がある」。
政治経済学部で勉強するコンクール優勝者は、「日本とロシアの両国国民のイメージの形成で重要な役割を果たすのは、マスコミである」との意見を持っている。彼女は、「大学を卒業したら私は日本の主要な経済新聞「日本経済新聞」で働き、その後、もし出来たら、モスクワ支局に特派員として行くことを考えている。私は、私たち両国がお互いに接近できるようあらゆることをしたいと思う」と付け加えた。
ロシア人再考
早稲田大学政治経済学部3年 黒瀬幸葉
数年前のあるテレビ番組でのこと。ゲストとして出演していた、故・米原万理さん(ロシア語会議通訳者・エッセイスト)は司会者に「ロシア人」について聞かれると、こう答えた。
「いやぁ、ロシア人ってすごく世話好きで、情の厚いところがあるんですよ」
当時ロシア人と接触したことのなかった私にとって、この言葉は実に新鮮であった。実際のところ、私は「ロシア人=物静かで厳格な人たち」という日本に蔓延するステレオタイプ的なイメージに縛られていたと思う。それ故、米原さんの言うことに半信半疑だった。
しかし、この後に私は父の出張に同行して初めてロシアを訪れることになる。そしてその時、私は自身が縛られていた虚構の「ロシア人像」から解放されることとなった。
私は父の出張に同行させてもらってロシア第二の都市、サンクト・ペテルブルグを訪れた。エルミタージュ美術館、イサク聖堂、宮殿広場など見所で溢れている、実に美しい古都である。私は興奮し、父が会議に出席している間も、沢山の名所を巡ろうと燃えていた。
しかし、実際には私は数多くの名所が集まる、いわゆる町の中心地から少し離れた場所に位置するホテルに宿泊することとなった。周囲は大自然に囲まれ、静かで美しい景色を楽しむことが出来るのではあるが、その一方でキオスク的な店は一軒も見当たらなかったのである。「これではチョコレート一つ手に入らない!お土産どころか、自分がちょっと口にすることすら出来ないではないか!」と悟った私は、なんとかこの僻地から中心地へ出ようと試みたのである。
とはいうものの、交通手段を考えるとホテル付近にはバスも走っていなければ、電車も見当たらなかった。やはりタクシーを利用するしか手はないのか、そうホテルのフロントに聞いてみると、トラムの利用を勧められた。トラム、つまり路面電車である。路面電車に馴染みの薄い私はワクワクしてトラムの利用を即決した。
フロントの人に描いて貰った地図にしたがって歩いていくと、10分くらいでトラムの停留所にたどり着くことができた。すでに一台のトラムが停車しており、数人が乗車していた。私も乗ろうとしたが、すぐに困ったことが起きた。肝心の行き先が書かれていないのである。乗ろうか、乗らないかトラムの乗車口で迷っていると、数人で構成されたおばさん集団が私に近づいてきた。
「どこへ行きたいんだい」
「中心地に行きたいのですが」私は拙いロシア語で答えた。すると、
「そうかい、じゃあこれに乗れば大丈夫だよ」そういって、トラムの乗車料金まで教えてくれた。
こうして、なんとかトラムの旅が幕を開けた。しかしながら、これで一安心と思ったのもつかの間、この一時間後に再び不測の事態が生じる。
トラムは、スピードはそこそこであったが順調に走っていた。だんだん車窓からの景色も、自然から市場や団地に移り変わり、町らしくなってきた。しかし、その町らしくなってきたなあぁ程度の、つまりまだ完全に中心地ではないという場所で突然トラムは急停止してしまったのである。すると、車掌は「はい、降りてください」といって乗客をトラムから下車させ始めた。私は驚いて「なぜですか」と車掌に聞くと、早口でよく聞き取れなかったのであるが、今日はこれ以上進まないからとりあえず降りてくれ、のようなことを言っていた。(ここはどこだろう)私はひどく焦ってしまった。いったいどの方向に自分が進んで来たのかすら、もはやわからなくなっていた。トラムから降りたあと、きょろきょろと辺りを見回して、そして呆然と立ち尽くしてしまった。(さて、どうしようか)とりあえず動かなくてはと思った私が一歩進んだとき、後ろからトントンと背中をたたかれた。振り返ると花柄のスカーフを頭に巻いた小柄な老婆が私の背後に立っていた。
「なんだかお困りのようだけど、助けましょうか」
「実は中心地に行きたいのですが、ここはいったいどこですか」
「ここは中心地から少し離れたところだよ。地下鉄に乗ればすぐ着く。ここからすぐのところに地下鉄の駅があるから利用しなさい。なんなら私がその駅まで連れて行ってあげよう」そういって私の手をとり、老婆は歩き始めた。しわくちゃの、かわいらしい、しかししっかりした手だった。
小さな市場や地下道を通って歩くこと約15分、地下鉄の切符売り場に無事到着した。
「おばあさん、本当にありがとう。助かりました」
老婆は、右手は二本の指、左手は三本の指を折り曲げて「私は今72歳。でもまだまだ元気だよ。」といってにっこりと笑った。「こんなことお安い御用さ」そういって、ゆっくりと地下道に消えていった。
このあと、私は無事地下鉄に乗り中心地へたどり着くことが出来たのである。とはいっても中心地についてからも道が分からず、キオスクの店員に聞いたりしてしまったのではあるが。
このようなサンクト・ペテルブルグで体験を通じて、私は米原さんの言葉がようやく理解できた。ロシア人は世話好きで、温かい人が多い。この旅を通して、私がロシア好きになったのは言うまでもない。町で困った人を見かけると、自発的に助けようと手を差し伸べてくれる人の多さに私は感激した。
しかし、日本に帰国して強く感じたのは、やはり日本人がロシアに対して無知であるということだ。友人にロシアについて尋ねてみると「寒い。暗い。怖い」こんなマイナスイメージを持つか、または、全く分からない、という具合だ。事実私もロシアに行く前までは前述したようにステレオタイプなイメージを持っていた。
では、なぜ日本ではこのようなロシア像が蔓延してしまっているのだろうか。私は、その理由の一つとして、日本におけるロシアに関する情報の少なさが起因していると考える。確かに、今年7月のサンクト・ペテルブルグでのG8サミット開催の前後ではロシアに関する報道は比較的多くなされていた。しかしながらそれ以外では、漁船の拿捕のニュースや飛行機墜落事故のニュース、モスクワの市場爆発など、「明るいロシアのニュース」がなかなか報道されない。
以前、私の大学の教授が「マスコミは売れないニュースは流さない。お金にならないから」と講義の中で述べていた。ロシアのニュースも日本ではその中に含まれてしまうのであろうか。よほどインパクトのあるものや、事件性の高いもの以外のロシアに関する話題は、あまり日本では需要されないが故に情報が少ないのかもしれない。
そして、このようなロシアに関する情報量の少なさというものが、ロシアへの関心を低め、日本におけるロシア語学習者の人数に影響を及ぼしてしまっているように私には思える。事実、私の通う大学においても、第二外国語としてロシア語を選択する学生の数は、極めて少ないのが現状である。ロシア語人口というのは世界的に見ると多いほうではあるはずだ。にもかかわらず、日本では敬遠されがちである。残念なことに、最近になってNHKテレビの「ロシア語講座」という番組の放送時間が短縮されてしまい、再放送がカットされてしまったが、これはロシア語学習者の少なさが原因らしい。
しかし、である。よく考えてみたい。ロシア語をはじめとしてロシアについて学ぶことは、実のところ日本人にとって大変価値のあることであり、重要なことではないだろうか。
まず「日本とロシアは隣国である」という事実は忘れてはならない。しかも超大国である。例えば政治的観点からいえば、ロシアは北朝鮮の核開発問題に関する6カ国協議のメンバーのうちの一国であり、東アジア地域の安全保障に大きくかかわっているし、最近ではアセアン会議にも参加するようになってきている。
一方、経済的観点からいうと、ロシアはBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字を組み合わせた言葉。現在のペースで経済が発展していくと、上記4カ国が世界経済地図を大きく塗り替えると言う予測がある)の一員であり、石油ガスパイプラインの建設などを積極的に推進している。また日本の企業も徐々にロシアに工場建設を行うなど、経済界からも注目を浴び始めている。
また、文化の面においてもロシアは世界屈指の芸術大国であり、ロシアの美術品や演劇、映画、音楽、文学などは高い評価を受けている。例えば映画に関して、先日日本でも公開になったアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』は昭和天皇を扱ったデリケートな作品であるが、ロシア人が日本の、それも天皇を扱った映画であるとして話題を集めている。私も鑑賞したが、撮り方が極めて斬新で日本人では作りえない、天皇を考える上で新しい切り口を与えられたような印象を持った。
多くの引き出しを持つロシアという国について学ぶことは、とても興味深いことである。私はロシア人の温かさに直接触れることが出来、それをきっかけに真剣に勉強を始めるようになった。そして今、私が強く望むことは、もっと日本とロシアの人的交流が活発に行われるようになることである。
事実、現在日露の学生の間で交流する場などはある。しかしその数をみるとまだまだマイノリティーであると言わざるを得ない。以前、ゴルバチョフ元大統領の講演会に出席した際、ロシアとドイツの間では積極的な人的交流が行われており、政府もそれを援助しているとの話があった。そして「日本でも同様のことが実現すれば良いですね」とゴルバチョフ元大統領は述べられていたが、私も全くもって同感である。
ロシアと日本の間には、まだ領土問題をはじめとして外交上の未解決の事項が存在するのは確かである。しかし、それを理由に交流が阻害されたり、否定的なイメージを抱くのはおかしい。
ロシア人の情の厚さを知ってしまったら、ロシアについて学ぶ人が続出するかもしれない。それ位、ロシア人は魅力的だ。