グリゴリー・メラメドフ、ロシア・ノーボスチ通信社に寄稿。
2008年大統領選が行なわれた。そして、それは通常起こるように、選挙運動自体の特とは若干異なった受け止め方をされている。選挙の集計が行われる夜には、すべての人が数字に凝視した。しかし朝になったらもはやパーセントへの興味はそれほどなくなった。異なるアスペクトで選挙結果を見たくなった。なぜならどのような状況であろうとロシアの大統領選は、社会で起きているプロセスの良い指標、国の政治肖像画として残るからである。1993年の憲法採択後に起こった以前の3回の運動と今回の選挙を比較することは面白い。
1996年の選挙は、本質的に、ペレストロイカの時代に戻ることに賛成する者と反対する者の最終的決戦となった。尤も、その時は、この衝突は最後になるのか想像することが難しかった。2000年の大統領選と議会選は時間的に同一時期で、エリツィン時代の決着をつれる選挙で、今後どうなるだろうというすべての人を悩ませていた問題に回答を出した。3番目の選挙は、基本的に、純粋な手続き上のイヴェントで憲法でそれが規定されていたからという理由だけで行われた。この選挙は、単なる時系列的選挙で、何か古いものから何か新しいものへの移行には結びついていなかった。
それでは現在はどうだろうか?私の見解では、選挙は、プーチンと彼の支持者への信任決議になったという主張は正しい。しかし、ただ、シンボリックな選挙に過ぎなかった。プーチンとメドヴェジェフの高い人気とこの2人の継承性は明らかで、何か特別に承認を求める必要はなかった。全く同じ様に、シンボリック的にだけ、プーチン治世の8年間の総括についても述べることができる。実際には、この総括はもっとはるかに早く行われた。我々は、ロシアでは反対する者も存在するが、反対勢力からの強力なリーダーは誰一人存在しないことを知っている。最も新鮮な総括は、どうやら違うところにあるような気がする。
第一に、強力な全権を持つ国家のリーダーには、同時に、以前のチームのメンバーである新しい人物がなった。これは、かつてのロシアになかった新しい現象だ。大統領が交代すれば、路線のある種の変更を約束する。いくら多くの人が変更は起こらないと思っても、だ。安定したアメリカで副大統領が大統領になった時、ドイツ、イギリス、フランス、日本で、同じ党の代表が順次のリーダーに替わる時でも、このような時ですら、政治路線は若干変わる。尤も、どの程度大きく変わるのかは、この場合、良く判らないが、それでも変わる。
第二に、ロシアではある1人の指導者に代わって「タンデム」が現れたということだ。ところで、外国語の辞書で「タンデム」という言葉は、一列に座って両者の乗行者両者で駆動させられた2人乗りの自転車、と訳されている。非常に興味ある特徴だ。今まではこのよう馴染みのない状況は将来的なものに過ぎなかった。しかし、今日からこの特徴はごくごく現実的なものになっている。
大統領選挙が初めて照らし出した第三の非常に重要な要素は国際的な事に関係がある。選挙運動がロシアと西側との新しい紛争のシリーズと重なったにしても、メドヴェジェフもプーチンも我国の外交に何らかの変更があることは一切述べなかった。この問題において、長い間で初めて、明確さが現れたことははっきりしている。ロシアが志向するもの、国際舞台においてのロシアの役割、他国と近いかあるいは遠いかその遠近の程度が、不変の数値になった。これは大国家の外国について言えるだけでなく、CIS諸国との距離についても言える。もちろん、メドヴェジェフは、彼らとの関係は特に重要であることは述べたが、これは彼らが隣国であるからであり、決して過去や運命が共通の思想だったから特別重要と言ったのではない。勿論、ジュガノフも、ロシア連邦共産党という党の独自性から、ロシアとウクライナ、ベラルーシそして、恐らくカザフスタンとは任意に統合するというテーゼ(命題)を自分の計画から外すことはしなかった。しかし、全体的には、過去の同盟国家を同一の国家として精神的に見なすというかつてのロシア人にとって病的な問題は徐々に消滅していっている。
最後に、解釈のための食糧を与えたのは、反対候補、とりわけ、リベラル候補の振る舞いだった。右派の政治家の誰もが、様々な理由から、今回の選挙に参加しなかったという条件で、リベラル派の反対者の大部分は自分の投票をジュガノフに入れた。正統派共産主義者はこのことを喜んだが、無駄に終わった。右派の有権者は、もし、ソ連の社会主義に戻る怖さを共産党の側からたとえ少しでも感じ取ったら、絶対にこのような行動を取らなかっただろう。ジュガノフに投票したことは、彼らにとって、単なる1つの抗議の形態に過ぎず、投票に行かないこと或は投票用紙を投票所で破り捨てることと同じことだった。これは、一般的に言って非常に特質的すべき要素だ。つまり、多くの市民にとってソ連時代はもはや(そこに戻るべき)起点にはなっていないのである。ロシアの外交と国内政策、現行の出来事に対する人々の関係、選挙でのモチヴェーション、これらはすべてもっとあとの現実に端を発している。何かがロシアの民主化に脅威となっているか或は脅威になっていないか、この「何か」は、すでにソ連の時代とは関係ないことなのだ。
もしロシア人に、あなたは大統領選というイヴェントに照らして我が国に何が見えますかとのアンケート調査を行なったとしたら、回答は非常に様々なものになるだろう。よく言われるように、気になることは誰にもありそれは口に出したくなるものだ。しかし殆どすべての人は多分ロシア社会は脱イデオロギー国家になったことには同意するだろう。メドヴェジェフは、国家構想についての話しは自分には関心がないと言うが、恐らくこのことを良く感じているのだろう。
メドヴェジェフの勝利は、彼の個人的資質に結びつかない要素で大部分決まった。ここにはそれなりのプラスもあるが大きなマイナスもある。自分の前任者たちと違って(エリツィンが共産党やチェチェンと闘い、プーチンはテロリストと闘った)、メドヴェジェフは国民の怒りを利用したりあるいは誰かに反対する闘争では1点も稼がなかった。彼は、この中に、大きくなっている社会の寛容性を利用したかったのではないか。しかし今はこれはうまくいかない。十分な根拠がないからだ。一体寛容性のない脱イデオロギーとはなんだろうか。このような状態がどれほど長く続くのだろうか。そして何がそれに代わるのだろうか?今これは判らない。判るのは将来のことだ。