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ドミトリー・メドヴェジェフの使命
09:1515/03/2008
 

アンドレイ・ヴァヴラ、ロシア・ノーボスチ通信社、政治解説員。

 

現在、すべての人が、ドミトリー・メドヴェジェフの大統領就任式の後に控えている新政権の顔ぶれの憶測をしている。政権に誰を選び、何を選択するか、そして誰を選ばず、何を選択しないか?例えば、彼は、「主権民主主義」の名の下にイデオロギーの概念を持ち込むのかと言った憶測だ。

 

「主権」民主主義の発明者と解説者が民主主義に与えた拡大された定義というのがある。実際は「主権」民主主義の概念は哲学的深遠さを狙っているようだが、専ら実利的で狭い意味の応用的性格しか持っていない。その本質は単純で、「我々もばかじゃない。教えて貰う必要はない」と言う表現で表せる。それは若いロシアの民主主義がなぜ不完全なのかを本質的に論議する必要性を排除してしまい、この不完全さはロシアの民族的そして歴史的特殊性から派生する独自要因と見なしている。我々が望むように生きる我々の主権を攻撃的にと思えるほど積極的に固執している。つまり、生きたいように生きる。独自性、これがすべてである。これに対抗できる論拠を認めようとしない。

 

メドヴェジェフはかつてすでに「民主主義」という概念にこの「主権」という言葉が付け足されたことに当惑したことがある。引用しよう。

 

「真の民主主義について論じることがはるかに正しい。あるいは、単にすべてを包括する国家主権が存在する下での民主主義について論じるのが正しいのか?もし、「民主主義」という言葉に何らかの定義を加えるならば、それは奇妙な味付けになるだろう。それは、何か別の、伝統的ではない民主主義のことを論じているという考えに辿りつく。そして、すぐ特定に視角が生まれる」。

 

実際、物事の利益のためには民主主義の完全性について論じる方が民主主義の不完全さをほめちぎってしびれるよりも良い。

 

時間と共に、「主権」民主主義という概念は変容し始めた。そして管理分析思考の妙計だらけになった。そこへ積極的に大声でどなるティーンエイジャーが混ざり合った時、もはや全く厚かましく挑戦的なものとなった。尊敬する祖国の思考の古典主義者の言葉を引用することで保たれていた威厳はどこかに行ってしまった。

 

そうだ。今は若者たちによる主権民主主義の展開はなくなった。しかし、いわゆる、後味は残っている。もちろん、かつて「主権民主主義」が一定の利益をもたらした時期はあった。しつこい西側の専門家は、我々の民主主義が何らかの基準に合致していないという退屈な論理ですでにうんざりさせた。彼らと現実から遊離したスコラ哲学論争に入る気持はなかった。一言で言うとすべてこれらはプーチンを助けた。夢中にならないでもっと緊急の問題に取組むことができた。

 

そしてまだある。プーチンは、諸事情のために、現実に存在する状況を撃退するよりも若いロシアの民主主義との関係を築くことに取組んだ。言い換えれば「理想化」した。つまり、ある種の装い、実際には存在しないもののコピーを作り理想化した。しかし、当時は劣等感からロシア市民を救うことが喫緊の問題だった。数え切れないほどの天然資源、才能豊かな国民、そして偉大な文化を持つ巨大な国がどうしても人間的な生活ができないことに対する罪の意識から逃れることが必要だった。そして、何か良いものが真似された時、必ずそれは元の面影をとどめぬほどに汚れてしまう。プーチンの戦略は、勝利を目指しての攻撃的何かを思わせた。弱い、言い訳的で謝罪的立場を除去した。

 

このロシアの民主主義は今のところ完全に実現されていないかも知れないが、彼の言葉を聞くと、我々の民主主義は、血となり肉となり、味となり色となり、明らかな現実的兆候を持つようになった。 

 

これは、現実が芸術的描写に取って代わられた時の社会主義的リアリズムの芸術とは違う。それだけではなく、芸術描写からしか成り立っていなかった社会主義リアリズムとは別のものだ。

 

プーチンの目標は、現実と最も直接的な関係を持つことだった。彼は、国家を発展させるために真剣な高い質の突破口を見出すことに努力した。そのため、その結果としてメドヴェジェフを選んだ。

 

現在、新しい大統領の到来と共に、ロシアでは新しい段階が始まった。なぜならロシアでは、国家のリーダーは、自分の大統領としての任務をただ単に果たすだけでなく基礎となる歴史的使命を遂行する。エリツィンには1つの使命があった。プーチンにはまた別の使命があった。メドヴェジェフにもまた違う使命がある。

 

ある人はごみを払いのけ基礎を作る。他の人は堅固で信頼ある骨組みを作る。3人目の課題は、質の高い美しい建物にするための修理、つまり「ユーロ」修理だ。(念のため説明するが「ユーロ」とは西側による対外管理下に移行することではない。仕上げの質の特徴が似ているということを意味しているに過ぎない)。

 

メドヴェジェフには、我々の全生活を質的に高い方向に導くかどうか非常に高く注目される4年間が控えている。彼は、ロシアには歴史的特殊性があるからと言う理由で、汚職を正当化するつもりはない。所有権をいい加減にする(その最たる結果が、「買い崩し」だ)ことはロシアの特徴であるが、彼はこれも許さない。彼は、もしこれらすべてに秩序が守られれば、もっとはるかに多くの国益が得られると考えている。

 

ついでに書くと、クラスノヤルスクでの演説をメドヴェジェフは、科学アカデミー正会員リハチョフの非常に面白い引用で締め括った。演説の中で、我々の国民の独自性と歴史的根幹の度を越した熱い支持者に明確な回答をした。「我々には現在の時間に対する責任がある。尊敬と敬意に値する自分の先達に責任のすべてを転嫁してはならない。我々は自由であるが故に責任もあるのだ」。

 

従い、あらゆる点から見て、「主権民主主義」は寝る時間だ。つまり年金生活へと退場する時期に来ている。