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「ロシア語の年」が「ロシアの世界」に拡大して終了
08:3019/12/2007
 

タチヤナ・シニーツィナ、ノーボスチ通信社、解説員。

 

 

2007年のカレンダーと共にロシア語の年も終わろうとしている。モスクワでは、A.S.プーシキン記念ロシア語と文学研究所の構内で「ロシア語の年」の総括会議が開かれた。総括会議の主要テーマは、著名な政治学者ヴャチェスラフ・ニコノフがその執行部長になった「ロシアの世界」基金の設立であった。「基金はロシア語の年が今日で終わらないように設立された」と会議の壇上から強調した。「ロシアの世界」、これは組織の名前だけではない。プーチン大統領の提案にもつながる政策でもある。我々は、パリの人が使う「ロシアの文学」、「ロシアの季節」、イスラエル人が使う「ロシアの党」、そして全世界(申し訳ない)で使われる「ロシアのマフィア」という語句の組み合わせと全く同じ意味で「ロシアの世界」という組み合わせを考えるべきだ。

「ロシアの世界」の主な場所はもちろんロシアである。ロシア語の運命は決定的にロシアに作用される。ロシア民族だけでなく、国家に居住する全民族の多世紀に亘る創作の成果としてロシア語は、巨大な国での民族間交流の手段になることができた。「ロシアの世界」の定義は民族や、国家や、領土や、政治体制や、イデオロギーよりも広いと主張したヴャチェスラフ・ニコノフは間違いなく正しい。精神的に「ロシアの世界」は、ロシアやロシア文学に関心を持っている人全員である。基金は、全「ロシアの世界」のインターネット上の協力システムを創設し、非政府ロシア語組織やロシア語の専門家、海外でのロシア語のマスコミを支援し、図書基金を書物やオーディオ、ヴィデオ商品で一杯にすることを課題に設定している。

ロシア語で「ミール(世界、平和)」という言葉は幾つかの意味上のニュアンスを持っている。「ミール」、これは和合、和解、そしてさらに「共同体」、「集団」などの意味を持っている。ミ-ルという言葉はまさに、レフ・トルストイが著名な小説「戦争と平和」(ヴァイナー イ ミール)の名称に使った。理解は広く、民族を超えている。まさにそのためウラジミール・プーチン大統領は、ロシアだけでなく、ロシア語を知っていて愛されている処ならどこでもロシア語の「個人の祝日」を祝うことを提案したのだ。まさにそのことにより、プーチンは国家の言葉に力強い帝王の肩という強い支柱を与えたのだ。

しかし、言葉は貧困に耐えるだろうか?世界の文化の現象は何らかの支えが必要になるかも知れない?客観的には、誰の支えもロシア語は必要ない。強力な文化の「コード」、偉大な民族の交流の手段として、ロシア語は、自分のゆるぎない法則にもとづいて生きており発展している。もし何かが失われるとすれば、それはロシア人自身が祖国の言語との大切な関係だ。

市場経済と政治、生活の市場化は法則的に市場の言葉を要求する。なぜなら市場の言葉の力により、社会生活の全機械が作動するからだ。モスクワ国立大学外国語学部々長スヴェトラーナ・テル・ミナソヴァ教授は、「思想や目的、生活様式の変化に伴い言葉の社会的役割も変わってくる。市場はアグレッシヴだ。それ故に、戦争の用語、攻撃する、撃破する、勝利すると言った戦争用語がよく使われる。先頭に立つようになっているのは、言葉の「顧客」の心を捕まえる能力、宣伝、政治的、商業的正確さだ」と考えている。教授は、注意はあらゆる方法、間違い、ユーモア、規準外の用語の使用、などにより引き付けられる。言葉のあらゆる段階で社会的規準が洗い流され不明瞭になると語っている。

しかしながら、言語学者は「言語の規準がゆらぐことは避けられない進行性のものである。なぜなら古い基準が崩壊するという病的過程を経てのみ新しい基準が生まれるからだ」と考えている。

ロシア語の年は、言語文化の問題に注意を向けさせた。祖国の言葉は簡単で、その価値についてはよく考えられもしない。祖国の言語には、詩人ベラ・アフマドゥリナの表現によれば、「まろやかな味」があり、人々は空気のようにそれを使い、大切にしないことが多い。ロシア語の年は、ロシア語の意味、歴史上の地位について思い起こす非常に良いきっかけになった。

スラヴ言語の大木の中で最も強力な枝であるロシア語は現代社会で広大な空間、文化的、人道的、地理的空間、を占める。ロシア語により、偉大な文学が生まれた。それを具現化したのが偉大な名声、アレクサンドル・プーシキン、ニコライ・ゴーゴリ、フョードル・ドストエフスキー、レフ・トルストイ、等々である。ロシア語は、国連の公用語の1つに指定されており、国際言語クラブに採択されている。このエリート集団には、若い世代の育成のために必要不可欠な要素であり、世界の大部分の国により最も重要と認められた6つの言語で構成される。

フランスの王であり皇帝だったナポレオン・ボナパルトは、即位する際、スラヴの聖書を使い誓いの言葉を述べた。それは1049年に、美しく教養ある、ヘンリー1世の妻となった古代ロシア公爵ヤロスラヴ・ムードルイの娘、アンナがパリに持ち込んだ。君主は若くして逝去し、アンナは、後に王となるフィリップ1世の息子が幼かったため、国の統治を引き受けた。フランスへの忠誠を彼女は祖国の聖書で誓った。かくしてロシアの本がフランスの国民聖物となった。

2007年に、まさにパリで、ロシア語の年の公式的外国スタートが切られた。ロシアとフランスの大統領夫人リュドミラ・プーチナとベルナデト・シラクの後援の下で1月に開かれた第25回国際言語サロン「エクスポロング」では、展示会「ロシア語 - 宇宙の最初の交流語」が開催された。展示会の主な目的は、世界の文化の極の1つであるロシアに対するフランスの若者の関心を高めることだった。このような人気化を狙ったイヴェントは他の多くの国でも開催された。「オーストリアでのプーシキンの日」、「ヴェトナムでのロシアセミナー」、インドでノプーシキン朗読会、キプロスでの詩のお祭り、モンゴル、コンゴ、シリア、スロヴァキア、セルビアでのロシア学者の会議、チュニジアでの話の泉、フィンランドでの「ロシアの集い」、チリでの「スラヴ言語と文化の日」、日本での学生のロシア語フェスティヴァル、ワシントンでのロシア研究者の国際フォーラム、等々。 

ブルガリアのヴァルナで開かれた「ロシア語の世界と世界でのロシア語」と題するロシア語とロシア文学教員国際連盟の第11回会議には、世界48ヶ国から1000人の言語学者が集まった。モスクワ国立大学を卒業したブルガリアの首相セルゲイ・スタニスラフは、ソ連崩壊後はロシア語は学校で学びたい言語のうちで14番目だったが、 現在は、英語の次に2番目に学びたい言語になっていると述べた。ロシア語の年の外国での計画は、ベルリンの科学文化会館で終了した。教育展示会「エクスポリングヴァ」での「ロシア語と文化」は主賓として参加した。

ロシア語は、ロシア国内での結集を高める力だ。ロシアの各地域や連邦構成首長体でも多くのイヴェントが開催されたのも偶然ではない。A.S.プーシキン記念ロシア語及びロシア文学研究所の学長ユーリー・プロホロフが会議で強調したように、国語としてロシア語の増大する役割と各社会層のあらゆるレヴェルで堪能に使いこなす必要性を理解すること、これはロシア語の年の重要なテーマだった。

グローバル化の時代が迫っており、時代の挑戦に応えることが要求されている。会議でも指摘されたように、近代化、言語の均一化、そして国際言語として英語が凱旋行進している状況の下で、世界の人々は突然、自国の言語や祖国の文化に気付き、取り組み出した。これが上記の条件に脅かされる「脅威」に各国は回答を出した。来年の2008年は、国連総会の決定により、「言語の国際年」を謳う年になる。

上述のスヴェトラーナ・テル・ミナソヴァ教授は、「言語の世界でのバビロンの混合は、特定言語に極化するグローバリゼーションに歯止めを掛け、民族のアイデンティティーを守るだろう。そしてすべての人は1つの均一に刈られた英語という草地のだけでなく、多くの様々な花を見ることができるだろう」と考えている。