マクシム・クランス、ロシア・ノーボスチ通信社、政治解説員。
全ロ世論調査センター(ロシア語表記ВЦИОМ)の最近の世論調査の回答者の半数以上とドミトリー・メドヴェジェフに賛成の投票者の4分の3は、彼の名前と民主主義の発展を同一視している。一見、ロシアの社会の方向は明白になったようだ。しかし、社会学研究データによれば、どのような民主主義を意味するのか、実は、その意味の下に我々ロシア人がどのように理解しているのかははっきりしない。
同じ様なことが、他の主要価値感や公式に宣言された方向にも言える。西側主義者とスラヴ賛美者、リベラル派と国家主義者、との、世界がいつできたかのような古い論議の選択前夜の刷新は、ロシアがどの道を歩むのか、どのような定規に沿ってロシアが自分の運命を裁断するのかについて意見が分裂していることが実際的で極めて明確に示した。どの方向にロシアが歩むのか世論の多くが論議を交わしている。
その例として、ユーリー・ラヴァダの分析センターの職員が行なった最近のアンケートがある。社会学者は、とりわけ、我々の国家のどの体制にロシア人は優先権を与えているのかを調査することを試みた。そして、回答のうち32%が民主主義体制と市場経済を持った西側に似た国に、39%が全く独特の体制を持ち独特の方向で発展する国に、優先権を与えたいと希望していることが判明した。もし、この回答と1997年に得られた回答、それぞれ47%と18%であるが、とを比較すると気分の漂流の方向は明らかになっている。ついでに「ソ連型」の社会主義を懐かしく思っている回答は現在わずか17%のみで、これはどうやら、もはや「過ぎ去った気質」と言って良いだろう。
ロシア独特の道とは一体どんな道なのだろう?誰かにとってはこれは、「成功者」の利益や関心よりも、一般の市民を配慮するように国の経済が発展する社会である(34%)。またある人にとっては、強い、精神的な、道徳的な要素を持つ国家と市民を作る社会である(18%)。西側と我が国の価値感や伝統が異なることが「独特」と考えている者が22%、あるいは、敵や攻撃の脅威に囲まれた存在が「独特」と考えている者が9%であった。全体的に言って、この点の考え方は極端に相反している。
同時に、調査は、ロシアはすでに資本主義に順応したと考える市民も少なくないことも示している。例えば、1992年から我々のもとで進んでいる改革は国に害よりも利益をもたらせたと考えている市民は43%いる。経済が市場主義にもとづいて発展することに賛同している人の数も増え、現在は66%になった。
個人所有についての考え方もやはり変わった。我々市民の大部分は、人々が小規模規模の企業やカフェや店舗を所有することに肯定的に捉えている。尤も、大規模企業や工場、大土地所有を個人の所有に渡すことを希望する者ははるかに少なく、この点では、長年掛けて形成された「財閥」についてはネガティヴな認識が見え隠れする。恐らく、回答者の3分2の市民が我々の下で百万長者が生まれないように個人所得を法的に制限することに固執しているのはまさにこのためなのだろう。ところで89%が国家はすべての、あるいはせめて商品とサービスの価格を固定すべきだと考えている。従い、それが我々の市場についての認識が「独特」としている点である。つまり、生産は、強力な国家的要素を持ち配分は必ず社会主義的にするが、資本主義的に為されねばならないと考えている。
民主主義についてはどうやらすべて明白のようだ。67%の回答者はそれはロシアに必要だと考えている。しかし、パラドックスも51%(明確な反対者は35%)あり、西側の民主主義モデルはロシアには合わないと考えている。それならどんな民主主義なのか?粗野な「社会主義的民主主義」の時代に我々はすでに生活した、その魅力を体感した。「主権」をか?この新語の基礎にある真の深い意味について知っているのは誰か?ドミトリー・メドヴェジェフはまだ大統領に選ばれる前に、「もし「民主主義」という言葉に何らかの定義を付け加えるとするならそれは奇妙な味付けになる。これは、何か別の従来のではない民主主義に話が及ぶようになる」と指摘した。全く同じように不適切と言えるのは「西側」の民主主義である。なぜなら、ヨーロッパ人やアメリカ人はそれに特許権を与えていないでないか!
「鉄のカーテン」が崩壊した後、多くのロシア人は、自分の目で、他の国で人々がどのように生活しているか見る可能性を得た。そして、ロシアよりはるかに良く気楽であることを理解した。一千万人がそこへ越境した。ある者は一時的に、ある者は永遠に。残りの者は、家にいながらにして西側並みの幸福と自由を得る希望が起こった。しかも今すぐにでも。そして道は遠く、曲りくねって、困難であることが判った。そこから精神的破綻、そして社会との関わりの新しい体制の受入れの苦悩さ、現在の社会構造で個人的不成功の理由を探す試みが生まれた。総括として、連結しないものをつなぐ何らかの別の「第三の道」を探索する志向が生まれた。
しかし、我々がこれを希望しようとしまいと、歴史が提案しているのは、権威体制か民主主義体制か、のわずか2つの国家体制の幹線シナリオだけだ。前者はロシアは1991年にすでに拒否した。後者は、あらゆる政治体制が理想的である得るわけがないように、もちろん理想的でない。しかし、ウインストン・チャートルが正しく述べたように、「民主主義は、残りのすべての政治体制をきちんと考慮しないなら、最悪の国家体制だ」。
そして同じく歴史は、ある種の「予備の道」に話題を転じるあらゆる試みは、必ず、反動、全体主義、国際孤立を導く。そのようにして起きたのが、ニコライ1世下の統治であり1917年の10月クーデターの後であった。そして、偉大な労働と苦しい損失を毎回伴い我々は主要なコースに戻ったにも拘らず、自分のためになる何らの教訓もどうやら引き出せなかった。さもないと、どこへ現代のロシアではこのように多くの「独特」発展の信奉者がいるのだろうか?
これは、ある時朝、我々は再び、何らかの袋小路に迷い込んだ連結を解かれた車両にいることにならないだろうか、他の車両がはるか遠く前を疾走している幹線から遠くにいる、という不安も抱かせる。