日本の代表団が、沿海地方の同胞人の埋葬地を訪問
18:0014/10/2008

 

 

日本の代表団が、1940-50年代に収容所で死亡した日本の軍事捕虜の埋葬地を訪問し犠牲者を追悼するために、沿海地方のアルセニイェフ市に到着した。代表団は、日本厚生労働省の代表と軍事捕虜の親族で構成されている。

 

ソ連全土には30の収容所があったが、沿海地方は、日本人軍事捕虜7万5000人以上が収容されていた収容所のうちの1つである。日本の専門家によると、沿海地方には、5000人以上が埋葬され、現時点では1500人以上の埋葬所が発見されている。

 

日本の代表団は、すでに、沿海地方ウスリースク市の同胞人の埋葬所をすでに訪問し、記念碑墓標に献花し伝統の焼香を行なった。ウスリースク市近郊では、第二次大戦後、日本人捕虜用の収容所は4ヶ所に配置され、捕虜達は家や道路を建設した。多くの捕虜は収容所内で死亡し、ウスリースクに埋葬された。これら埋葬所の領地には3つの記念碑が設置された。

 

アルセニイェフ市には、歴史家のデータによれば、20世紀中葉には日本人捕虜収容所が3ヶ所あったとのことである。

 

このあと、日本の代表団は、ウラジオストックの同胞人の墓地を訪問することになっている。